教室破壊プロジェクト

教室破壊プロジェクト(仮)

決められた座席、黒板が前、を「破壊」する

教室破壊プロジェクトとは?

「教室破壊」?なんて過激な…

プロジェクト名は「(仮)」とあるように、仮称です。
ただし、これまでの伝統的とされる「教室」の形態を「破壊」したいという思いは「ホンモノ」です。
「伝統的な教室形態」とは何か。それは、「同学年」の約30人(多いところは40人を超える)もの子どもが一つの空間(部屋)に集められ、座席もそれぞれ指定され、黒板を「前」としてすべての机と椅子が、そちらに向くように機械的に並べられている状態を指す。教師は黒板を背に、全児童(生徒)を隈なく見渡すことができ、誰が何をしているのか、しっかり私の話を聞いているか、授業に集中しているか、確認することができる。
全員が学校での「教育」を受けているはずなので、この伝統的な教室の光景を想像するのに難しくないだろう。
さて、読者のなかには、なぜその教室形態を破壊しようと思うのだ、教育の場としてよく計算されていて良い空間ではないか、と思われる人もいるかもしれない。
いや、そういう人こそいて欲しい。
私も教育を「受ける」立場であるときは、ほとんどこのシステムを懐疑的に考えたことはなかった。
私も運よく、不自由を感じなかったのである。
一方で、学校なんて大嫌いで、なぜ学校に行かなければならないのか?と思いながら過ごした人もいるかもしれない。
「教室破壊プロジェクト」と銘打っているのを見て、そうした「学校なんて…!!」と思っている人が活動しているのかと思われた人がいたかもしれない。しかし、そうではない(残念ながら?)。
このプロジェクトの目的は、「教室を破壊すること」ではない。
この点は非常に重要である。
このプロジェクトが目指すのは、新たな「学びの場」をつくることにある。
「伝統的な教室形態を破壊すること」はその手段でしかない。
つまり、「伝統的な教室形態」を「破壊」せずに残したまま「新たな学びの場」なるものをつくればいいということになる。
しかし、現状のままで実現するのは難しい。
故に「破壊」が必要である。
その理由を説明するにはまず、「新たな学びの場」が何かを示さなければならない。

「教室破壊」は「手段」である

プロジェクトが目指す「新たな学びの場」とは、端的に言えば、「子どもたちが自らつくる学びの場」である。
先に「伝統的な教室形態」を説明したが、かなり表現をフラットにしたつもりだ。ここでは少し反感を買うような形ではあるが、改めて説明してみたい。
伝統的な教室形態とは、「同じ年齢の子どもが、同じ空間に詰め込まれ、整列された机と椅子にそれぞれ配分され、決められた座席で、全員が黒板を前に、まっすぐ向いて座らされる。そして、教壇に立つ教師の目に常にさらされながら授業を受けなければならない」状態、と言えるかもしれない。
もちろん、全ての教室がこのような暗く窮屈な教室ではない。
ただ、この教室形態である必要は何かと考えることは、「教室」という子どもの学ぶ空間をつくる(提供する)先生の立場では必須である。
このプロジェクトでは、まさに「教室」という空間を考え直すことから始まった。
目標は、教室を「子どもたち自身がデザインし、つくりなおすことのできる空間」にすることである。
それは、子どもたち自身が、自分たちの学びに最も適した形態を築き上げていくことのできる空間の提供だ。
なぜ、子どもたちが教室をデザインできることが重要なのか。
それは、学びの主体が「子どもたち」だからである。
これまでの教室形態ではその観点が欠けていたかと言うと、そうではない。
子どもたちの学びの環境として最も良いものを先生たちが工夫してつくってきたことは紛れもない努力の結晶である(それを「破壊する」と表現するのはやはり不適切なので名前は後々変えたいと思っている…今は意気込みを汲み取っていただきたい…)。
ただ、なぜ完全に教室のつくり手を子どもたちに譲らないのだろうか。
そこには様々な不安が隠れているだろう。
「子どもたちに任せたらどうなるのか予想がつかない」、「授業がしにくくなるのではないか?」など確かに不安な要素はある。
だが、学びの主体が「子どもたち」であるなら、「学びの形態」もできるだけ子どもに任せたい。
一人一つの机と椅子が本当に「いつも」必要だろうか。
時には、ベンチで円をつくって話し合いがしたい、数人でひとつの机を使って同じ取り組みをしたい、もはや机や椅子はいらなくて床一面を使って何かしたい、こたつのスペースをつくって休むことのできる空間をつくるのはどうか、、、教室で「当たり前」とされていることは、子どもの学びの場を「無意識に」制限していないか。
子どもたちの学びの場である「教室」を、教師の権威で形成していては、本当の意味で「子どもたちが主体となった学び」が可能になるのだろうか。
子どもたちが自分で教室をデザインし築き上げる過程は、まさに自分のために環境を整えていく行為である。
自分の意見をクラスに伝えることで、教室を変えられるかもしれない、みんなの意見を組み合わせて、みんなが居心地の良いと感じられる教室をつくることができるかもしれない。
こうした感覚を子どもたちに感じさせることができれば、学びの主体として「自主性」を育むことができるのではないか。

子どもの自主性を最大限に生かすことのできる空間に、教室を変えていく。
そのための課題を徹底的に考え、そして多くの人が「よい」と「納得」できる教育を考えていく。
そういうプロジェクトにしたいと心から思っています。